わるい人がいなくなって被害者が増えた

私が幼い頃、万引きは非常に普通のことでした。私は小学生の頃、近所の駄菓子屋にコーラ飴を盗みにみんなで行っていたし、とうもろこしの畑に入っては甘いとうもろこしをもいで、河原で焚き火をして茹でて食べていました。運悪く捕まった子は近所のおばはんや教師や両親にこっぴどく叱られました。また人の家の庭で栗を盗んでいたらおばあちゃんが出てきて「何も盗むことはなかろう。ちゃんと断ればあげるよ。」と言ってくれて毎年取りに行くようにもなった。それは特に大した問題でもなく社会問題でもなかったし、一緒に盗みをしていた仲間が今、強盗になっているわけでもない。多少の迷惑はかけたと思うけど、全く罪の意識は今でもない。
ほしいものは知恵を働かせてとったり盗んだり、または交換したりするのが人の常だと私は思っている。それが多少法外であったところで問題ない。問題はそれらが人を苦しめ傷つけるかどうかという問題で、とうもろこしを盗んで誰かが苦しんだわけでもない。
が、どうやらこれが相当におかしいことらしい。滅法キチガイじみているらしい。
田舎であガムの紙くずはそこらに捨てるものだった。適当に風化してなくなるからだ。海の街ではたいていのものは海に捨てればすぐに綺麗になった。(ひょっとしたらこの積み重ねが公害の原因になっていたのかもしれないけど。)だか、しかし、それでも罪の意識など全く芽生えてこない。
しかしながら、とある人種にとってはこれは著しく軌道を逸脱していることで「悪」であるらしい。
彼等は、ずっと文句を言っている。ずっと不満を言っている。ずっと理路整然と自分たちが正しいことを主張する。それはおかしいという。私からすれば彼等は何も生産していない。少なくとも栗を分けてくれる親切なおばあさんともつながりをもてない。彼等は文句を言いながら働き、社長の批判をし、経営のやり方に陰口をたたき、何一つ盗まない。何一つ行動しない。彼等は行動すること自体が罪であって、口を叩いているのは全くの無実だと思っているらしい。この理屈がどうも私の性に合わないというか、ちょっと理解に苦しむところだ。彼等は何も産まないことに誇りを感じているようだ。
彼等には特徴がある。
「xxxがやりたい」と思ったらお金を払って習いにゆく習慣がある。驚くべきことに「喫茶店を経営するための専門学校」があるのだ。そんなことまで学校で学ぶらしい。誰かがおしえてくれる。何がおかしいのかうまくいえないけど、何かがおかしい。
常識的に考えて上記非生産的な人間は、ある意味では非常に生産的であるとも言える。なぜならくだらないことに対して経済を回しているという役割を果たしているからだ。それだけで例えば東京という大都会では最終的なマクロな視点での経済に貢献している善良な市民なのかもしれない。
しかし彼等はいつだって被害者であり、加害者になろうとしない。彼等は常に外敵から何らかの被害を被っている被害者であり、何らかの不条理に立たされた善良な市民であることが前提として話がすすむのである。
そんなとき私は社内のLANに勝手にiTurneサーバーを作って音楽を危機、誰も使ってない社長専用のWIFIでスピーディーなスマホライフを営んでいる。Dropボックスなどにお金を払うのはもったいないので、社内のファイルサイバーをどこからでも使えるようにする。開発は特に社内稟議を通さずに勝手に作って売ってみる。そういうのは、規模にもよるが、どうってことないと今でも思っている。
私は皆、弁護士になったのかもしれないと思うときがある。所定の手続きを踏んで正当な手続きのもとで何かしらを行わなければならないと思っているらしい。まるで順番待ちを正しく守る阿呆な民族のようだ。ちょうど同じくしてイタリア人はうまいこと横入りできた順番でぐちゃぐちゃな並びかたをしている。(にも関わらず、日本なんかよりもとても豊かな生活をしているのである。)
なんか日本はいつからこんな偏狭になったのだろう。

Last update: 2016.03.23 (水)