無知の知を現代の教育に持ち込もう

2012年のインターネット上のいろいろな事件がいろいろびっくりです。岡崎市中央図書館からPC乗っ取りでの掲示板書き込み事件、ひろゆき氏の麻薬特例法違反ほう助の疑いで書類送検やら、殆ど法治国家とは思えない事件がたくさんありました。おそらく今年も来年もそんなような事件が数多く話題になるのだろうと思うのですが、これ、私が仮にもインターネットという分野で幾許かを生業にしているということでその中身が理解できて、理解できるが故にその問題が明確に判断できるというだけで、実はこれらの「専門性」に関する冤罪や法的な整備、または実際にそれらの犠牲者となった方々は有史以来数多く存在していただろうことは予想できます。
遡れば魔女狩りからはじまり、現代の日本に至るまでとんでもない冤罪事件は無数にあるんじゃないかと。明日は我が身ということもあるのですが、これらの専門性に関して司法側というのはどのような立場でその判断を下しているのかというのは、実際にかなり問題があるのではないかと。医療に関して、化学や薬学に関して、ネットワークやサーバーに関して司法はどれほどの知識と経験でもって憲法や法律からその犯罪性を明確に判断できるのかというと、これらの事件を目の当たりにするとおよそ不可能という気がしてきます。日本の警察の検挙率が世界でNo.1であるという神話は今になってみれば国家の司法機関にまるで抵抗不可能な孤独で身寄りのない地域の変人を1人祭りあげればそれで殆ど捜査と裁判が完了というような実にガサツで野蛮な方法論を確立してきたが故の治安であると思うと、かなりおぞましい気分になります。
ここであえてインターネット上の専門知識からの冤罪について解説することは避けますが、その専門に携わる人々はもう少し冤罪に対する発言力をもった方がよいのかもしれません。私がこれらのテキストを書くことによってあるいはブラックリストとして警視庁に目を付けられる可能性があるとしても、専門家はその専門家なりの判断を司法に突きつけなければ日本の司法は「お馬鹿なまま」ということになってしまうんじゃないかと思います。
インターネット上の専門性とその複雑奇っ怪な知識という意味では、私自身もそれらのロジックに苦しむことがあります。というのもIPアドレスでもってクライアントを(ある程度)アイデンティファイするコードをこれまで何度も書いてきました。しかしながら「ある程度」です。もしかしたらエンジニアの中には、IPアドレスで確実に個人をアイデンティファイすることが可能であると信じている者が警察にアドバイスをしていたとなると、これは忌忌しき事態なのではないかと思うわけです。
我々はその他の分野の専門性を身につける必要はありませんが、その他の専門分野に対して無知であるという自覚は教養として持ち合わせるべきなのではないかと。
千年以上を経て「無知の知」は現在の日本にとって、そして実際の法治国家として実践してゆかないととんでもない国家になってしまう懸念があります。無知の知は単なる哲学的な詭弁ではないことに我々はそろそろ気が付きべきではないかと。

Last update: 2017.02.14 (火)