ソシャルボタン並べすぎ

ソーシャルボタンの流行というのがあって、ホームページだかブログだかサイトだかポータルだかにはやたらにソシャルボタンがくっついているわけです。SEO的にはとてもすばらしいシステムなのかもしれない。社会的にもそれなりの何があるのかもしれないのですが、デザイン的にはかなりみっともない。むかし買ったWindowsマシンが立ち上がった瞬間にBIGLOBEだのNECだのフレッツ光だのMACAFEEだのやたらにバナーがデスクトップに立ち並んでいるようなダサさがあります。Appleが売れる理由にそういったインチキ臭い「ソシャル姓」がないところだと思っています。私なら個人的にそういった不細工なデザインのものは進んで購入したくないです。
ですが、このインチキ臭いソシャル姓は今猛烈な勢いで右肩上がり。先日もLINEが公式的にソシャルボタンを導入しました。2ちゃんねるの掲示板からはじまり、mixi,MySpace,Flickr,FB,Google+,Pinterest,Line…なんでもいいのですが、ソシャル化してゆくわけです。職業上、私はどのサービスも使っていますが、その中でダントツとんがっているのがTumblrです。これはおかしい。どうかんがえてもおかしなサービスで、どういう収益構造になっているのかさっぱりわからないし、傍目には何が楽しいのか意味不明というサービスです。
我々が社会的な生き物であることでそれらの関係性が生まれ深まり創造性に富むことは咎めることではありませんが、何かしら変な感覚がするのです。「いいね」ボタンの翻訳が悪かったというのも相まってか「北朝鮮がミサイル実験に成功しました。」113人がいいねと言っています。というのはとてもおかしいし、私が知っているとある社長は早朝の5時に起きて営業活動の一貫として知り合いの記事に「いいね」ボタンを押しまくります。その中に私のFBも入っていて、その社長は尻だのおっぱいだのに「いいね」するわけです。xxxx先生が「いいね」と言っています…という中にとっても淫らなファック画像が入っている。つまり何も見ていないわけです。それをソシャル何とかと呼ぶのなら、ソシャル何とかはもうすでにクリエイティビティーを失いかけているんじゃないかと思うわけです。
その点Tumblrはとんがっている。深い意味でのソシャル感があり、手軽なReblogと言えども誰もがきちんと読み、観賞し、選択しているということに深い意味があると思われるのです。そこには一定量の発信力と中毒性と距離を保った関係性と意味、アーカイブとしての書庫と個性、皮肉と中傷、社会風刺と内容がほどよく揃っている。誰も彼もが猫と子共と食事の写真を載せるような記事にはならない。具体性も時間性もなくただただその抽象性と永遠に続く無限が何ともなく不気味でエキサイトできるわけです。
Tumblrから外に出て気がつくことがいくつかあるのだけど、いわゆるサブカルチャー的、セックスネタというようなメインカルチャーからすると世界の陰の部分がネット上では特に少なくなっているということです。実に綺麗な部分のみが整然とGoogleに並ぶ。死体の写真も幼児のヌードも麻薬日記もモラル的に逸脱したもの違法なものはすべてどこか違う世界に行ってしまったような気がします。光と陰の部分が同居していないと世界は何だかちぐはぐでトンチンカンなものに見えてくるのは私だけなんでしょうか?
にしても多すぎ。

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Last update: 2016.03.22 (火)